学歴劣等感という相対的剥奪
序文
私は学歴劣等感(educational deprivation)をこじらせて大学を中退しました。津田(2008)によると、心理学での研究は「定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている」ようです。精神医学では「自己愛性パーソナリティ障害」として扱われます。私は社会学の「相対的剥奪(relative deprivation)」の概念で、学歴劣等感の定義を試みます。
相対的剥奪とは
相対的剥奪の最初の正式な定義の1つで、Walter Runcimanは相対的剥奪の4つの前提条件があることに注目しました。
- AさんにはXがありません
- AさんはXを持っているBさんを知っています
- AさんがXを持ちたい
- AさんはXの取得は現実的だと考えています
— Relative deprivation - Wikipedia(en)
社会学者スタウファーが『アメリカ軍兵士』で造出した用語です。私はこの用語を誤用を恐れずに、不本意入学した大学生の不満に適用します。つまり私はXに学歴を代入します。私は条件文を比較プロセスに沿って改変します。
比較する前提条件
採用する基準
数ある基準の数だけ多様な能力の表現があります。ある基準を採用する動機は、同じ土俵で話し合う母集団からXについて承認を得るためです。
他人と比較する価値観
ある基準のもとで、AさんとBさんを比較しないとXの優劣を判定できません。メリトクラシーはAさんを業績Xの獲得競争に参加させて、母集団と比較します。
取得への期待
プライドが残っていてXを諦められない場合にしか劣等感は発生しません。メリトクラシーから業績Xについて煽られた熱が冷めていない状態です。動機は業績Xの獲得による母集団から卓越化です。
比較対象の母集団
世間の実体とは、Aさんが人生で実際に対面してきた個人を要素とする集合です。Xに関して劣等感を持つには、Aさんの世間にXを持つBさんが含まれる必要があります。Xが階級を分かつ指標である場合には、Xを持たないAさんは同じ階級のXを持たない他者としか日常で体面できないため、Xに関して劣等感が持続しません。しかしAさんの階級下降でも疎遠にならない身近な他者や、体面しえないメディアでしか知れない他者が、Aさんの世間に含まれ続ける場合には劣等感が持続します。
劣等感の処方箋
採用する基準を変える
「学歴が高い=優れている」というまなざしの裏には、「学歴=能力の高さ」というような尺度が隠れている。このようなまなざしに強く曝されていると、学歴が高くないと自分が肯定されないような気持ちになることがあり、学歴コンプレックスの原因となる。— 一つの定規モデル
社会で支配的なイデオロギーの内面化により、多様な能力の表現の中でXに特権が与えられます。Xを崇める一元的な基準に自分が還元されるのが嫌なら、支配的イデオロギーの内面化をやめて、自分好みの基準を探して採用しましょう。
他人と比較する価値観を変える
比較すると基準に無関係な二人の多様性は取捨されるので、一元的な比較は人間性に対する暴力です。他人と比較する価値観では世間体が重視されるので、常に周りを見渡し自分の行動を自粛する羽目になって窮屈です。数多くの基準を使って個別の長所を尊重する価値観や、そもそも相手と比較しない価値観や、自分以外の権威を認めない価値観を探して採用しましょう。
取得への期待を変える
中途半端に期待してしまう状態が苦しいので、時期を区切って挑戦するなど工夫してメリハリをつけましょう。既存研究を読んでXの期待値を算段し、自分の覚悟を確かめるのもよいでしょう。
比較対象の母集団を変える
諸君のいた高校の科学のクラスで平均以下の生徒はまったくとるに足らない人間であると思っていたところへ、いま突然「君たち自身」が平均以下であるということに気がつくのです。—それも、諸君の半数がそうなのです—これは大変な衝撃です。— ファインマン『ファインマン流物理がわかるコツ』
Aさんの階級移動に応じて、母集団は他律調整されます。加齢で過去の母集団を忘れゆく摂理で、どんな階級の人間でも「自分は普通だ」だと精神衛生を保てます。母集団を自律調整したいなら、XをもつBさんを母集団から締め出して相対的な安寧を得るか、Xを獲得して階級上昇し絶対的に劣等感を払拭しましょう。しかし階級上昇できても、Xの他に関して劣等感を持ちえる性格は変わりません。
後書き
私は今でも学歴劣等感を克服できていないので、自分のために考察してみました。共有する考察が、誰かの一助になれば幸いです。